kototaba
言もしくは事の束
           
             
 以前通っていた学校で「即興」という授業があった。音や音楽、言葉や文章などを持ち寄ったり与えられたりしてその場でヴィジュアルに起こす、その逆、または両方。なんでもいろんな事を覚えてくるとかたにはまってしまうので、それを開放するとかなんとか、そんなような趣旨だった。行為に答えはなく優越もないただお互いの違いがあるだけ。
 今思うに絵とコトバはここで認知された。コトバは映像となりフレーズと進化して記憶のなかにストックされる。これは時に鋭く鋭角でお誉めをいただく、または難解で理解されない。だからこれはノイズの箪笥。
  旧正月も過ぎました  

年賀状の返事を今日出しました、
ここ数年完全な後出しに徹しています。

20070312

  「ご自愛ください」  

もうすぐ年が明けます。
年上の方から頂ける挨拶にこう書かれることがあります。
まだ同世代に言われたことはないので最初に、
日々のシロクロを語るまえにとりあえず
アカとシロ、よいお年を。

20061231

 

  2.3秒の
リスペクト
 

 なんか表面がざらざらしていて角度をかえて見ると絵図らが動いて見えるものアレ何てものなのか、
ああゆうことをやってみたい、(アレじゃない)
動いている
一枚の絵で
動きがあるということは始まりと終わりがある訳だけどそこじゃない数秒の感触
終始のない一定の動き
それは空気感でありそれを感じる皮膚感。
例えば古くから現在に続いている町並みやそこにいる人、
今自分が見ている風景が何世代も前の人も同じ様に見ていたのかと思うと、それは何かとても愛おしく嬉しくもありそして頼もしい気がする。
目が自分を越えてとても大きな普遍性、他人のそして大勢の視線を持った気がする。
まなざしはあの感触で凝固すれば最善だ。
それは変わりゆく流れの中で動きつつ儚くも続いていくであろう時間の編集。

2005.01.17.

  keitai-view   2004.09.22.

bithn'n scum
   
  keitai-view   2004.09.20.


ビデオテープの
ケースをこする音

   
  keitai-view   2004.09.17.

遠くに見える感情
   
keitai-view 2004.07.29.
keitai-view 2004.07.16.
    最初の部屋    たしか以前始めたホームページの最初はこの写真のアップからだったように思う、これは自分の部屋で「ここから」という気持ちとだぶらせた。実際ものをつくるために借りたこの場所は暗室と撮影の現場だった。今はそのほとんどが生活の主体と化している。もうすぐここを離れて新たなリセットを繰り返す、過去の経験となるこの写真は今私的な作品となるように思う。
        2004.07.11.
         
    名前のない記憶  

 ヨドバシカメラの印画紙のコーナーに種類のサンプルとして多分店員さんの撮った写真がプリントされている。その店舗からちょっと離れた住宅地の写真で別に名前もなく、まさかタイトルなんかある訳ない。作品という驕り高いものでないこの写真は目にとても優しい。
  ある日の遠くて身近な記憶、不意に立ち寄ることを思えるもう一つの選択肢。

2004.07.08.

             
    keitai-view    アパートの階段で鳴いていたピヨ吉、自然界と自分をつなぐ存在としてはあまりにも悲しい短い命だった。
      2004.05.07.
    keitai-view   2004.02.06.

 

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