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profile
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大森
靖幸
(おおもり やすゆき)
1971年東京生まれ
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高校時代に美術系大学に進学を考え美術部に入る。その後一年浪人して、
阿佐ヶ谷美術専門学校入学、絵の素材、ネタ、スケッチとしての写真または映像を収集するうちにそれが直接表現であるように思い、いわゆる『カメラ』が制作の主体になった。
卒業後株式会社STADIO60(ロクマル)に就職、スタジオマンと呼ばれる商業映像の撮影アシスタント。
退社後個展 WHITEOUT GalleryQ-s(’99) テーブルの上の輪ゴム GalleryQ-s(’00) ものこと exhibitLIVE('01)他グループ展など。
web site ENDLESS CUBEをオープン(’00)現在のこのサイトは二度目の立ち上げ。
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幼少期に描いたもの
教室の真ん中に放って囲んだ記憶がある。ただこれがそうかどうか、 |
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1976
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高校生の時に描いた油絵
見つめること描くことに初めてまじめに向かい合った。 |
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1988
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文化祭でのお祭りさわぎ、若き日の思い出、想い出。 |
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1989
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予備校時代自分にとっての美術はただの描画力を問う訓練だった。これは秋口に「好きなことをやれ!」と一週間ぐらいの時間を与えられた自由課題。これを期に自分にとっての作品をつくることに思いをめぐらせる。 |
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記号的解釈 |
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515×1092cm |
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アクリル絵具
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1990
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スタイルをつくることを異常に欲していた。視線をどう消化すればいいのか、描き方はどうあるべきか、精一杯の答えだった。ただ何十枚か同じことを繰り返した後まったくやるこはなかった。これは珍しくてよく眺めていた東京都庁第二庁舎。 |
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「sketch」の一部 |
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354×247cm |
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アクリル絵具、墨汁など
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1991
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この年と前後は爆発的にシャッターを切った、一眼レフを常に持ち歩きファインダー越しに光景を四角く切り取ることはまなざしが平面に置き換わる最良の方法だった。結果出来上がった写真には広い景色や人々のような幾つもの関係が写されることはなかった。 |
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「生きている形」の一部 |
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ゼラチンシルバープリント
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1992
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自分にとっての興味は遠いどこかのことや決定的瞬間を伝えるこでなく作品(日常に於けるモチーフ)がその場でつくりだす空間だった。肉体(大きさ)と視線、感じる皮膚感。そんなことが気持ちを支配するようになる、作品は意識のなかでオブジェとして横たわるようになった。 |
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「Window」の一部 |
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297×420cm |
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和紙にコピー
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1993
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これは学校の卒業制作展のもので同名タイトルの映像作品も合わせて上映した。写真を撮ること、その後編集すことを対等に意識したのはこの映像作品よるところが大きいと思う。写真はシャッターを切る瞬間その場に居ながらにして冷静に他人になることもできる、映像はその一瞬の継続で幾つもの関係を整理するのに「その後」が必要不可欠。当時の理屈。 |
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発信 |
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グリコーゲンはタンパク質 |
セシオン杉並
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1994
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シャッターを切り続けることに何も感じなくなっていた。ましてや白い画面にペンや筆を持つのは疑問がつきまとった。何をするのもいらない衣服を身にまとうようで邪魔だった。そういう生活をしていた。そんな時何かで紙を切った時その感触が異様に手に響いた。そしてそこから見える薄い陰影がシンプルでとても気持ち良かった。 |
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二度会う前に三度会う |
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三鷹市美術ギャラリー
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混音と残色 |
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1995
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描かれているもの、描かれている支持体、すべてに疑問を持っていたこの頃、写っているものはどうでもよかった。 |
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昨日の夜今日の朝
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October Skip |
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麻布工芸館
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1995
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ポジフィルム撮っておしまい、この頃こだわってやってみたこと。それしかできなかった訳だけど。シャッターを切ることよりファインダーに見える光景が目に新鮮だった。透過して見るフィルムはそれ自体が作品と呼べる光の結晶のように思う。 |
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1996
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スタジオに勤めているころ毎日接するカメラマンはシャッターを切ることに全てを捧げる訳でその理由やその後のことなど何も関係ない、職人的フォトグラファーとはそうゆうもの。それは自分とは対局なもので身勝手な解釈をすれば安易で適当なものに映った。ただ逆にその行為で全てが完結するならとても尊く、ストレートな写真表現に憧れを持ったのも事実。これは以前通った学校で立ち消えになっていた話が不意に甦って行けることになった外国。その時に撮りためていたネガをカラーコピーで製本してまとめた。結局のところプリントをそのまま見せることは考えない、これは手に取れる触れる形になって初めて作品になった。 |
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FADE IN |
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A4変形版 |
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カラーコピー
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1997
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ドキュメンタリーに向かう写真の方向を模索した結果の一つ。電灯の真下にカメラを据えて光るライトの形状をとらえる。 |
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「装置」の一部
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ゼラチンシルバープリント
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1998
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そう言えばこんなこともしていた、空き缶の収集。あえてその場、路上でなく持ち帰りものだけを撮るそのやりかたは今やっている作品につながる行為の始まりだった。
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「Perfect Life」の一部 |
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1998
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何もない空間(white)が語り出す(out)瞬間、
限りなく0に近い1。 |
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個展 WHITEOUT |
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GalleryO-s
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Direct Mail |
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1999
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作品の装丁はいつも悩みの種で、例えば余白その距離、縁その色素材、厚さなど整理できないでいた。ただこの頃から何もしないことが最善のように思えて数ヶ月前の個展では紙面にハトメで開けた穴に釘を打ち込んで壁面を構成した。そしてもう一つの方法がコレ、板に貼ること。 |
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WHITEHEAT#4 |
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神奈川県民ホールギャラリー
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1999
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路上でのポストカード(はがきサイズの写真)の販売
たしか12.3枚の売り上げありがとうございました。 |
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近所の駅前 |
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1999
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「なんでテーブルの上の輪ゴムなんですか?」
ある日テーブルの上に輪ゴムがあった、多分今もある。
「何でもないないことをしたかった、」「うん、そうですね」
そういう一週間。 |
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個展 テーブルの上の輪ゴム |
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GalleryO-s
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Direct Mail |
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2000
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いくつも、でなくせめていくつか、できればひとつ。
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個展 ものこと |
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exhibit
LIVE||
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Direct Mail |
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2001
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「身に覚えはない出来事、印象の記憶」
参加するにあたり作品に対する説明を何て答えたか覚えてないんだけど、うまく言えなかった。で、考えた結果がこのフレーズ。これをちょっと変えて今回の作品に対するコメントとして提示した。このコトバは今一番着心地のいいシャツだ。
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<cresc.photo exhibition |
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2004 |
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